GOLD-BOY Image pavilion 表象文化論的写真考 1 忍者ブログ
山陰で撮影した映像を中心に、そして簡単な随筆をと思っています
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視覚表象である写真が趣味の私であるが、最近写真は決して3次元ではないと感じる。
4次元 否 それ以上か?
花火撮影をする時 基本手法はバルブ撮影であり、また黒く塗ったウチワを使う事が多いのだが、
シャッターを開けたままにしておき、その黒いウチワで調整しながら取入れる花火の絵を決めて行くのだ。
つまり 出来上がる写真は現実には存在しない世界を映し出す。時間をスキばさみでカットしランダムに繋ぎ合わせると形容しても差し障り無いだろう。
例えば、シャッターを開け10発上がる花火の2と5発目をウチワでかくすと1.3.4.6.7.8.9.10発目の花火が写真に写り込むのだ。
写真は決して瞬間という訳ではなく、時間が大きく関与して来る。

ところで
表象文化論では数点目指す所があるらしい。
「作品」をそれが生産され消費される関係性の空間に置き直し、その空間の生成と構造を考察すべくと言う。
また 偏重に傾きがちだった従来型の文化研究を脱して、「イメージ」の分析を中心に据えようとする。等等。
小難しい事を書いているが決して私は理解しきれている訳ではない。
昔 表象文化論の学者である友人が 音を平面的に図形化する模索をしていた。三次元の前提条件を無くせばその図形もまた錯覚となるかもだけど、とにかく真剣に取り組んでいたのを思い出す。
その音なんだけど、写真を見ていて音を感じる事も最近ある。
つまり写真は単純な視覚表象では無いのではないか?音があり匂いがあり 過去と未来がある。
次元をもコントロールするかもだ。
てかだんだんオカルトになって来たなw

でもまあ 写真は一瞬を切り取る、という明言チックな言葉を聞くが私は疑問でね
瞬間て0.何秒? ってね。
0.001秒かい?と。
0.001は決して点ではない、むしろ線でありますね。超弦理論で語っても良いかな?
んで 写真は その線を変則的にコントロールして平面に映し出すとんでもないモノなんじゃね、と最近思っちょる訳です。

とまあ表象文化論的視点での写真考第一回でした。
これで終了かもだけど、あははは(笑

(クリックで拡大されます)

松江 水郷祭にて
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GOLD-BOY 2012/08/16(Thu)19:41:54 編集
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